宮城子ども会育成会(MKR)のガチ構造改革(その8)

宮城子ども会育成会(MKR)のガチ構造改革(その8)
予定通り12/6(水)に落合市民センターにて(その8)の打ち合わせを行いました。落合食事処大城さんでゆっくり一杯なんて考えていましたが、キャプテンは7日からシニアサッカーの試合で上京するので色々とたてこんでおり、打ち合わせ後まっすぐ帰宅しそれぞれの宿題に追われました。

前回に引き続いて提案資料骨子のレビューを行い、空いていたデータに数値を入れて見ました。「なんとなくそうだろう」とこれまでの肌感覚で感じていたことがデータとして示されました。想像以上に厳しい現実です。これまでは会計が赤字転落するという危機感が構造改革の出発点だったのですが、本当に組織構造や取り組み姿勢を変えていかねば未来が開けないことを認識しました。MKRの会員推移のデータです。隆盛だった2014年に比べて64%になってます。


こんな状況にもっと早く危機感を持ち対応を考えなくてはならなかった訳です。売り上げが4割減になるのに無策だったとしたら経営者として失格です。大震災がとかコロナがと言い訳している経営者は決して成功していませんよね。

新人として会社に入社したのが1978年、まだコンピュータなんて遠い世界の物でしたがそのソフトウェア開発部門の経理部に配属されました。3年後人材開発部門にシフトされ、それからは新人採用~教育にアクセル全開でした。30代になり当時隆盛を誇っていた家電部門の海外工場にシフトされました。行ってみると欧州は日本より早く景気後退が進んでいて、事業の縮小、撤退というブレーキばかりの仕事に初めて接しました。「世界一」を誇ったビデオテープレコーダー(VTR)事業からの撤退が決まり、従業員の配置転換や早期退職などの嫌な仕事が続きました。その仕事を終え30代半ばで帰国し赴任したのが仙台の営業所です。日本もバブルがはじけ経営者は危機感をもっていました。それまで聖域だった営業の経費を削減するという号令がかかり、また嫌な役としてそれを担当しました。30年前です。パソコンは部署に1台、携帯電話は誰も持っていない時代に、PC一人1台、営業員全員携帯電話と世の中より5年早い施策を展開し徹底的な合理化と情報武装への道を拓きました。5年間仙台の営業所でそんな仕事を担当し、その次の仕事は本社で「グローバル化対応」でした。子ども会でも今そんな仕事を後追いしている様です。武さんが以前痛めた脊椎の治療でしばらく入院される様です。お大事を祈りたいです。そして退院開け22日に次回打ち合わせを仮設定しました。年末の忙しい時期ですが、なんとか年内に資料は完成させたいです。