海の日に海に行きましたか?
海の日に海に行きましたか?
海の日という祝日が設定されたのは1996年だそうです。記憶があいまいなのは勤めていた会社の創立記念日が7月16日でもともとお休みだったからだと思います。1996年というと仙台の支社に転勤し、現在の新川に自宅を建設して転居した頃です。まだ子供はいませんでした。今風に言えば「湘南育ち」でマリンスポーツ、特にウィンドサーフィンにはまりました。仙台にもボードとセールを持ってきて野蒜海岸でちょくちょく出艇していました。湘南(鎌倉)で暮らしていた頃はそれこそ真冬でも海に出ていました。一人息子は縁あって今鎌倉で暮らしていて、私がその頃使っていたウェットスーツを時々使っているみたいです。でもウィンドサーフィンのボードはほぼオブジェです。
東北地区の海岸線は2011年にズタズタにされてしまいました。震災の少し前、サーフィンではなく「釣り」で牡鹿半島を訪問していました。震災以降東北の海岸には行ってませんが、女川と閖上は復興の定点観測として半年おきに訪問しています。もう海水浴をしたりマリンスポーツに興じる年齢ではなくなりましたが、寄せる波の音には心を洗われる様な気がします。思い出しました。息子が新川分校に入学したその年の子ども会イベントは「閖上で地引網」でした。こんな凄いことを仙台の子ども会ではやるんだ、閖上は名取川の河口で色々な景観があるんだと感心しました。そして夏休みには青竹を割ってソーメン流しです。本物のスイカ割もありました。「湘南育ち」の記憶ではソーメン流しはプラスチックですし、スイカ割もビニールボールでしたので「なんでも本格的なんだ」と心に刻まれています。そんな豊かな体験を得て育った息子は、会社の休みをとって「新川ほたるまつり」の手伝いにやってきてくれました。もうお互い飲みに行くくらいしか親子関係はありませんが、小学生時代の体験が行動のベースになってくれていると考えると嬉しいです。
さぁ親子で海に行きましょう。そうです、私のかすかな記憶の中に潮干狩りをして欲張り、満潮で帰れなくなってしまった父親の姿がおぼろげに残っています。確か高価だったカメラを海に浸けてしまいその時の写真は残っていませんが、こうして記憶には親子の思い出としてきちっと残っていました。母親手作りのトラ模様パーカーも覚えてます。昭和36年鎌倉材木座海岸です。