卒業式の思い出

六年生の保護者の方々、お子様の卒業おめでとうございます。
東日本大震災から12年が経過しました。仙台西地区は比較的被害が少なかったとはいえ、停電、断水などに苦しみました。そして小学校の卒業式もコロナ禍の現在の様に必要最小限の式典でした。当時息子は5年生、その時の卒業生は親子ともにエネルギッシュな世代で、PTA活動に加えて子ども会活動でもいろいろな足跡を残してくれました。卒業式が延期になったので、みんなで近くの沢までポリタンクを抱えて水を汲みに行きました。震災が落ち着いた時点で「災害をぶっとばせ」と食材を持ち寄り学校に一泊体験宿泊をしました。校長先生は石巻ご出身で、ご自宅が壊滅的だったのに学校避難所の指揮官として奮闘されました。その校長先生に翌年息子の卒業を見送って頂きました。親子3人で写真に納まったのはそれが最後です。中学では部活が忙しく、高校に進学するともう父親と写真を撮るなんて心境にはなりません。親も同じです。私自身両親と同じフレームに入ったのは結婚式まで時間が経過しています。小学校の卒業式、ぜひ沢山写真を残して下さい。

私自身の卒業式で覚えているのも小学校のものだけです。学年300人ほどいましたが、全員がひな壇に上りひとりづつ証書を頂きました。なぜかプラスティックの安物筒に入っている卒業証書は今でも手元にあります。一方学園紛争で高校大学は入学式も卒業式も式典が実施されませんでした。校歌も小学校のは覚えていますが、中学のは忘れてしまってます。こうして自身を振り返ってみても、小学校の6年間はものすごく「濃い」時間だったと思えます。残念ながら転勤族で転居してしまい、小学校時代の「親友」はその後高校サッカー部で一緒だった1人だけですが、地域で遊んだ場所や仲間の記憶は強烈に残っていて、今またSNSなどで当時の景色がよみがえっています。

年少のお子様がいらっしゃるご家庭では、これからも小学校卒業式を迎えることになると思います。厳しい環境下ではございますが、お子様にとって記憶に残る小学校生活を親子で残していただきたいと思います。晴れ着を着た記念写真だけでは心の奥には刻まれません。

先日社会人一年生となった息子と東京で一杯やりました。話題になるのは小学校の思い出、子ども会のイベントの事です。幼稚園時代にキャンピングカーで日本一周したり、ハワイに旅行したのはもう忘れてしまっている様です。結婚するまではこれからもずっとそうなんでしょう。でも彼には生まれ育った自然豊かな故郷がここにあります。

2023年3月14日
宮城子連(MKR)会長 小島 吉雄